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日蓮大聖人

日蓮大聖人は鎌倉時代の1222年、安房国(現在の千葉県)に生まれました。12歳から安房の清澄寺に入り、16歳で出家します。鎌倉・京都・奈良などの各地で諸経典を学んだ後、32歳で故郷に帰りました。
 
日蓮大聖人は、当時の諸宗が用いた仏教の教えが、万人成仏を説く法華経を否定し、人々の無明(生命の根本的な迷い)を増幅させていると捉えました。そして、人々が無明を乗り越え、幸福で安穏な社会を建設できる根本の法こそ「南無妙法蓮華経」であると説きました。これにより迫害を受け、故郷を追われた日蓮大聖人は、鎌倉に移り本格的に布教を開始しました。
 
当時は、大地震などの天変地異が相次ぎ、飢饉・疫病などが続発していました。日蓮大聖人は1260年に「立正安国論」を著し、当時の実質的な最高権力者であった北条時頼に提出。同書の中で、正法である法華経否定の状況が続くならば、経文に説かれる「内乱」と「他国からの侵略」が起こると予言し、警告しました。
 
しかし、その諫言は聞き入れられず、かえって権力者や仏教界の反発を招きました。度重なる襲撃や伊豆への流罪に加え、1271年には、斬首の企て(竜の口の法難)や佐渡への流罪と、生命の危険にも及ぶ政治的弾圧が続きました。

法華経は、釈尊滅後の悪世における「法華経の行者」には、釈尊が遭遇した以上の法難が加えられると説きます。この法華経の予言を身をもって示した日蓮大聖人は、佐渡への流罪以降、自身が法華経の教説を体現し、弘める法華経の行者であると宣言しました。

「立正安国論」で示した警告は、1272年に北条家の内乱(二月騒動)として的中。さらに他国からの侵略も、蒙古の襲来として現実のものとなりつつありました。
 
1274年の蒙古襲来(文永の役)の半年前、鎌倉へ帰還した日蓮大聖人は、権力者を重ねて強く諌めました。しかし鎌倉幕府は用いず、日蓮大聖人は身延山(山梨県)に入り、弟子・門下の育成に努めました。
 
1279年、富士の熱原地域(現在の静岡県)で起きた弾圧に対し、農民信徒たちは殉教を恐れず信仰を貫きました(熱原の法難)。無名の庶民が命がけで大難に立ち向かったことは、日蓮大聖人の生涯の目的(出世の本懐)である民衆仏法の確立が実現したといえます。

1282年、61歳の時、療養のため身延を出発し、武蔵国池上(現在の東京都大田区)にある門下の屋敷に滞在。そこで生涯を閉じました。
 
日蓮大聖人が逝去した後、弟子の日興上人(1246~1333)がその精神と行動を受け継ぎました。日興上人は、為政者への諫言を続けるとともに、日蓮大聖人が著したすべての著述を「御書」と呼んで尊重し、研鑽を奨励。多くの優れた弟子を輩出しました。
 
度重なる弾圧という最悪の状況下にあっても、日蓮大聖人は揺るぎない金剛不壊の生命境涯を顕現しました。言い換えれば、人間自身が気づいていない生命本来の偉大さを体現することによって、万人成仏の道を開いたのです。ゆえに創価学会では、日蓮大聖人を「末法の御本仏」として尊崇しています。

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