
創価学会は、鎌倉時代の日蓮大聖人(1222~1282)が説いた仏法を信奉し、現代に即して実践している団体です。
日蓮大聖人は、仏教の創始者である釈尊が目指した「万人の成仏」の真髄を説くのは唯一「法華経」であるとしました。そして、その法華経の精髄を「南無妙法蓮華経」と顕し、全ての人が成仏(何があっても揺るがない絶対的な幸福な境涯)できる方途を示しました。
日蓮大聖人は、妙法こそが全ての民衆を成仏に導く教えであることを訴え、自ら広めました。そして、当時の為政者にも「立正安国論」を提出するなど、正しい宗教観に立つよう迫り、命に及ぶ数々の弾圧を受けました。しかし、日蓮大聖人はいかなる困難にも屈せず、弟子や門下に法門の論文や手紙を綴り、この信仰を貫くよう励まし続けました。そして、後事を直弟子の日興上人に託しました。
創価学会は、民衆の幸福を願い救済し続けた日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、その生涯をあらゆる機会に学んでいます。そして、学会員一人一人が、日蓮大聖人の如く、いかなる困難にも屈しない力強い人生を歩めるよう信仰を深めています。
日蓮大聖人の生涯について、詳細をご覧になれます。
(※会員サポート内の「教学基礎情報」へのリンクです)
| 元号(西暦) | 聖寿 | 月日 | 出来事 |
|---|---|---|---|
| 貞応元年(1222年) | 1歳 | 2・16 | 安房国長狭郡東条郷の片海に御誕生 |
| 建長5年(1253年) | 32歳 | 4・28 | 清澄寺で立宗宣言 |
| 文応元年(1260年) | 39歳 | 7・16 | 立正安国論を北条時頼に提出し、諌暁する 直後に、松葉ケ谷の法難(7月または8月) |
| 弘長元年(1261年) | 40歳 | 5・12 | 伊豆に流罪される |
| 文永元年(1264年) | 43歳 | 11・11 | 小松原の法難 |
| 文永5年(1268年) | 47歳 | 10・11 | 十一通御書をしたため、各所に送る |
| 文永8年(1271年) | 50歳 | 9・12 | 竜の口の法難 |
| 10・10 | 流罪地・佐渡に向かう | ||
| 文永9年(1272年) | 51歳 | 1・16、17 | 塚原問答 |
| 2月 | 鎌倉と京都で内乱(二月騒動) | ||
| 2月 | 開目抄を著す | ||
| 文永10年(1273年) | 52歳 | 4・25 | 観心本尊抄を著す |
| 文永11年(1274年) | 53歳 | 3・26 | 佐渡から帰還され、鎌倉に着く |
| 4・8 | 平左衛門尉と会見、年内の蒙古襲来を予言 | ||
| 5・17 | 身延に入る | ||
| 10月 | 蒙古の大軍が九州を襲う(文永の役) | ||
| 弘安2年(1279年) | 58歳 | 9・21 | 熱原の農民信徒20人が捕らえられる |
| 10・12 | 一閻浮提総与の大御本尊を御建立 | ||
| 弘安4年(1281年) | 60歳 | 5月~ | 蒙古襲来(弘安の役) |
| 弘安5年(1282年) | 61歳 | 10・13 | 武蔵国の池上宗仲邸で御入滅 |
日蓮大聖人御書全集
創価学会では、日蓮大聖人が書き残した論文・著作・書状などを「御書」と尊称しています。御書は、四百数十編が伝えられ、「法門書」(開目抄、観心本尊抄など)、「消息文」(門下等への手紙)等に分類されています。
創価学会の戸田第二代会長は、昭和27年4月に『日蓮大聖人御書全集』を発刊しました。
御書には、日蓮大聖人の法門や教義、信仰の在り方と姿勢が説かれております。創価学会では、毎月の座談会や御書学習会で、御書の研さんを行っています。