3.一生成仏と広宣流布

凡夫成仏・即身成仏

「凡夫」とは、普通の人間のことです。法華経では、凡夫の身に本来、仏の境涯が具わっていて開き顕すことができると明かされています。普通の人間の身に、偉大な仏の境涯を開いていけるのです。これを「凡夫即極」とも、「凡夫即仏」ともいいます。
成仏とは、人間に具わる本来の仏の境地(本有の仏界)を現すことであって、人間からかけ離れた特別な存在になることではありません。凡夫の身に仏という最高の人間性を開き顕すことが大聖人の成仏観です。
このような成仏を「即身成仏」といいます。即身成仏とは、衆生が、死んで生まれ変わって現実の凡夫の身を改めることなく、仏の境涯を得ることをいいます。
法華経以外の諸経では、「成仏」が説かれていても、少なくとも二つのことが条件とされていました。
一つは、二乗(声聞・縁覚)・悪人・女人ではないことです。
二乗は、自分たちは偉大な仏には成れないと決め込んで阿羅漢(声聞の教えでの最高の覚りを得る人)を目指すにとどまり、煩悩を完全になくした境地として心身を滅することを目指します。このような二乗に対して、大乗の諸経典は、成仏できないと厳しく非難しました。
また衆生が悪人であるなら善人に生まれ変わることが必要であり、女性であるなら男性に生まれ変わることが必要であると考えられていました。悪人や女性が、その身のままで成仏することはできないとされていたのです。成仏を説いてはいても、現実に成仏できる条件を満たす人は限定されていたのです。
二つには、何度も何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修行)、凡夫の境涯を脱して仏の境涯に到達するとされたことです。

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