3.一生成仏と広宣流布

凡夫の身のままで一生のうちに成仏

これに対して、法華経では、成仏とは「仏という特別な存在に成る」ことではなく、自身のその身に「仏界の生命境涯を開く」ことであると説いたのです。
大聖人は、あらゆる仏を仏たらしめている根源の法そのものを、南無妙法蓮華経であると明かされました。そして、根源の法と一体となった大聖人御自身の御生命を、南無妙法蓮華経の御本尊として顕されたのです。
私たちは、南無妙法蓮華経の御本尊を信受することで、だれもが自らの生命に仏界を開き顕すことが可能になりました。
日寛上人は次のように述べています。
「我らこの本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(『日寛上人 文段集』)
御本尊を信受し、広宣流布の実践と信心を貫けば、凡夫の身のままで、胸中に大聖人と同じ仏の生命境涯を開き顕すことができるのです。
なお、凡夫の身のままで成仏できることを即身成仏、一生のうちに成仏できることを一生成仏といいますが、どちらも同じ法理を表現した言葉です。
* 日寛上人は江戸時代の学僧で、日蓮大聖人から日興上人に受け継がれた仏法の法理を整理し宣揚した。

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