3.一生成仏と広宣流布

煩悩即菩提・生死即涅槃

即身成仏の法理を、別な角度から表したのが「煩悩即菩提」「生死即涅槃」です。
小乗教と呼ばれる諸経典では、苦悩の原因は自分自身の煩悩にあると説き、苦悩を解決するには煩悩を消滅させる以外にはないとして、多くの戒律を守り修行を積み重ねて解脱(覚りによる苦悩からの解放)を求めました。
しかし、煩悩を完全になくした境地として、心身を消滅させ、この世に再び生まれないことを目指す生き方は、結局、生命自体を否定することになります。
権大乗教と呼ばれる諸経典では、小乗教を実践する二乗や、悪人・女性の成仏を否定します。
実質的には小乗教と同じく、凡夫と仏の間に乗り越えがたい断絶がある考え方です。
仏についても、阿弥陀仏や大日如来など、人間を超越し、現実世界から遊離した別世界に住む架空の仏を説きます。
凡夫が仏に成るためには、いくつもの生の間、仏の覚りの境地を一部分ずつ順次に学んで修行し、身に付けていかなければならないと説きます。
また、偉大な仏には自分の力ではなれないと考え、仏の絶対的な力で救われることを強調する考えも現れます。
これに対して法華経では、慈悲と智慧に満ちた仏の境地が、あらゆる衆生に本来的に具わっていて、それを開き顕すことによって成仏できることが明かされました。
煩悩に覆われ、悪業を積み、苦悩にさいなまれている凡夫であっても、自身の内に仏界が具わっているという真実に目覚めれば、仏の覚り(菩提)の智慧を発揮し、苦悩から解放され、自在の境地を得ることができるのです。
煩悩に覆われた苦悩の身が、そのまま菩提の智慧に輝く自在の身となるのです。この法理を「煩悩即菩提」といいます。
日蓮大聖人は、自身の内なる仏界とは、南無妙法蓮華経であると示されています。
私たちは、南無妙法蓮華経の御本尊を信じて題目を唱え、尊厳なる本当の自分に目覚めれば、生き抜く智慧がわき、苦難に挑戦し、乗り越える確信と勇気が出て、他の人を思いやる慈悲も現れてくるのです。
「生死即涅槃」とは、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えていけば、生死によってもたらされる苦しみの境涯にある生命に、仏の覚りによって得られる安穏な境涯(涅槃)を開き顕していけることを示しています。
「煩悩即菩提」「生死即涅槃」の法理は、妙法の信心に立脚する時、あらゆる苦悩を自身の成長と幸福の因に転じていく積極的な生き方が可能になることを教えているのです。

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