1. 曼荼羅に顕し修行の本尊に

2.南無妙法蓮華経

曼荼羅に顕し修行の本尊に

日蓮大聖人は、御自身の仏界の生命を一幅の曼荼羅に顕されました。
凡夫の私たちが、大聖人と同じく、南無妙法蓮華経をわが身に体現し、成仏するための修行の本尊とされたのです。
「この御本尊、全く余所に求むることなかれ。ただ、我れら衆生の法華経を持ちて、南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり」(1244㌻、通解──この御本尊は、全く別の所に求めてはならない。ただ、私たちが法華経をたもって、南無妙法蓮華経と唱える胸中にいらっしゃるのである)と仰せです。
曼荼羅の御本尊に顕された根源の法であり、仏の御生命である南無妙法蓮華経を拝して、それが、私たち自身の生命にも厳然と具わっているのだと、信じ受け止めていくことが大切です。そのことによって、自身の内なる妙法が開き顕され、仏の境地を実現していけるのです。
また、「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名づく。いわゆる、南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(788㌻、通解──初めて自身の心が本来、仏であると知ることを大歓喜というのである。南無妙法蓮華経とは、歓喜の中の大歓喜である)とあります。
自身が本来、仏である、南無妙法蓮華経そのものであると知り、そのはかりしれない素晴らしい福徳を我が身に開き顕していく。これ以上の人生の喜びはありません。
妙法を根本に、さまざまな困難を勝ち越えていく時、永遠に何ものにも壊されない幸福の軌道を進むことができ、この一生を大歓喜で飾っていくことができるのです。

  • facebook
  • twitter
  • LINE