1. (7)熱原の法難と出世の本懐

1.日蓮大聖人の御生涯

(7)熱原の法難と出世の本懐

日蓮大聖人の身延入山後に、駿河国(静岡県中央部)の富士方面では、日興上人が中心となって折伏・弘教が進められ、天台宗などの僧侶や信徒が、それまでの信仰を捨てて、大聖人に帰依するようになりました。
そのために、地域の天台宗寺院による迫害が始まり、大聖人に帰依した人々を脅迫する事件が次々に起こりました。
弘安2年(1279年)9月21日には、熱原の農民信徒20人が、無実の罪を着せられて逮捕され、鎌倉に連行されました。
農民信徒は平左衛門尉の私邸で拷問に等しい取り調べを受け、法華経の信心を捨てるよう脅されましたが、全員がそれに屈せず、信仰を貫き通しました。
そして、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟が処刑され、残る17人は居住する地域から追放されました。この弾圧を中心とする一連の法難を「熱原の法難」といいます。
農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された「聖人御難事」で、立宗以来「二十七年」目にして、大聖人自身の「出世の本懐」を示されました。「出世の本懐」とは、この世に出現した目的という意味です。
日蓮大聖人は、若き日に、仏法の肝要を知る智者となって、すべての人を苦悩から根本的に救うという誓願を立てられます。この誓願の成就が御生涯をかけて目指された根本目的であると拝されます。大聖人は、万人成仏の根本法である南無妙法蓮華経を説き、本門の本尊と本門の戒壇と本門の題目という三大秘法を明かし、未来永遠にわたる広宣流布の基盤を確立されました。
この熱原の法難において、三大秘法の南無妙法蓮華経を受持して、不惜身命の実践で広宣流布する民衆が出現したことにより、世界の人々を救うための日蓮大聖人の民衆仏法が現実のものとなりました。
このことにより、生涯をかけた根本目的、「出世の本懐」を達成されたのです。
そして、大聖人は弘安2年(1279年)10月12日、その意義を留めた御本尊を建立されました(いわゆる、弘安2年の御本尊)。
また、この熱原の法難において、大聖人門下は異体同心の信心で戦いました。特に、近隣の地頭であった青年・南条時光は同志を守るなど活躍しました。

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