1. 生命変革の実践――勤行と弘教

2.信行学

生命変革の実践――勤行と弘教

「勤行」とは、御本尊に向かって読経・唱題することをいいます。これが生命変革の具体的な実践の一つです。
大聖人は、勤行を、曇った鏡を磨くことに譬えて次のように仰せです。
「譬えば、闇鏡も磨きぬれば、玉と見ゆるがごとし。ただ今も一念無明の迷心は、磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし。深く信心を発して日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり」
(384㌻、通解──たとえば、曇っていてものを映さない鏡も、磨けば玉のように見えるようなものである。今の〈私たち凡夫の〉無明という根本の迷いに覆われた命は、磨かない鏡のようなものである。これを磨くなら、必ず真実の覚りの智慧の明鏡となるのである。深く信心を奮い起こして日夜、朝夕に、また怠ることなく自身の命を磨くべきである。では、どのようにして磨いたらよいのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということなのである)

この譬えで示されているように、鏡自体は磨く前も磨いた後も同じ鏡であり、別のものに変わるわけではありませんが、はたらきは全く違ってきます。同じように、私たち自身も、日々の勤行を持続することによって自身の生命が鍛え磨かれ、そのはたらきが大きく変革されてくるのです。
また、「弘教」について、「諸法実相抄」で「我もいたし人をも教化候え(中略)力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(1361㌻)と仰せです。また「寂日房御書」では「かかる者の弟子・檀那とならん人人は、宿縁ふかしと思うて、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり」(903㌻)と言われています。
勤行をして自分自身だけが境涯を変革するのではなく、自他共の幸福を目指して、一文一句でも仏法のことを人々に語っていくことが大切です。
それによって、自らの信心をさらに深めることができるとともに、人々の幸福のために戦う仏や菩薩の境涯を自身の命に呼び起こし、大聖人の真の弟子となっていくことができます。勤行とともに、弘教の実践が、自身の生命変革への大きな力となっていくのです。
また、法華経には「能く竊かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」(法華経357㌻)とあります(如来とは仏のこと)。
この文を踏まえて、大聖人は「法華経を一字一句も唱え、また人にも語り申さんものは、教主釈尊の御使なり」(1121㌻)と仰せです。
すなわち、私たちの化他行は、仏の使い(如来の使)として、仏の振る舞い・行動(如来の事)を実践する最も尊い行為なのです。

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