5.信心即生活

信心即生活

一般に、信仰とは日常の生活から離れた特別な世界の事柄であると考えたり、日常生活の中でも信仰の時間と生活の時間とは別なものであるとする見方があります。
しかし、日蓮大聖人の仏法においては、信仰と生活とは、そのように切り離して捉えるものではありません。
御書には、「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」(1295㌻)とあります。この「御みやづかい」とは、主君などに仕えることですが、今日の私たちの立場にあてはめれば、なすべきこと、果たすべき役割であり、職業・仕事・生活にあたります。
したがって、この御文は、日々の生活が、そのまま仏道修行の場であり、信心を根本とした自身の生き方を示す場であることを教えられているのです。
生活は、私たちの生命活動そのものにほかなりません。そして、信心は、私たちの生命を変革し、充実させていく力となります。
生活の場で直面するさまざまな課題に対して、御本尊への唱題を根本に真剣な努力を重ねていった時に、その現実との戦いそのものが、私たちの仏界の生命を涌現させる機縁となり、自身の生命変革の舞台ともなるのです。
また、信心で開拓した生命力、豊かな境涯を土台にして、生活の場に勇んで出ていった時、生活そのものも、おのずから変革されていくのです。
信心を草木の根に譬えれば、生活は、豊かな果実を実らせる幹や枝に譬えることができます。信心を根本に置かない生活は、環境に流されてしまう根無し草になりがちです。信心の根が深ければ深いほど、盤石な生活を築いていけると説くのが日蓮大聖人の仏法です。
以上のように、大聖人の仏法においては、信心と生活は一体です。ゆえに、創価学会の指導には、「信心即生活」といって、生活はその人の信心の表れであるととらえて、信頼される社会人として、生活に勝利していくべきことを教えています。

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