5.信心即生活

人の振る舞い

仏法は、「人間としての勝利」を教えた宗教です。
日蓮大聖人は、「教主釈尊の出世の本懐は、人の振る舞いにて候いけるぞ」(1174㌻)と仰せです。
釈尊がこの世に生まれて仏法を説いた、その根本の目的(出世の本懐)は、特別なことではなく、人間として、どう生きるべきかを示すことにあったとの仰せです。
すなわち、人間社会にあって良識ある振る舞いを貫き、人格の輝きをもって、職場・地域などの身近な人々から信頼され、尊敬される存在となっていくことが、信心の証です。
最高の「人の振る舞い」とは、「人を敬う」行動です。
すなわち、万人の生命の中に仏の生命があると捉えて、その仏の生命を尊重し、万人を敬っていく行動です。根本は、万人を仏にしていこうとする誓願の生き方です。具体的には、目の前の「一人」を大切にしていく実践となって表れます。
法華経では、万人の中に秘められている仏の生命を敬い、あらゆる人を礼拝していく不軽菩薩の実践が説かれます。
自分の仏界をまだ自覚していない人でも仏の生命を具えており、これを開きあらわす可能性をもっています。したがって、万人を「仏子(仏の子)」として尊重していく生命尊厳、万人平等こそが、仏法の精神です。この精神があれば、他人を踏みにじる一切の暴力は生まれないでしょう。このように、万人尊重の原理から、対話をもって社会の変革を実現していこうとするのが日蓮大聖人の仏法です。
悪世末法は、人々の迷いの生命が強くなり、他者を踏みにじり、人間を差別し、道具化する思想が充満する時代です。そうした濁った社会の風潮を変え、人間自身の境涯を高めていくには、生命尊厳、人間尊敬の「人の振る舞い」の実践を広げていくしかありません。
また、社会を変革するためには、人々の迷いを助長し、人間を蔑視する思想と強く戦っていかなければなりません。したがって、善を広げ、悪を責める振る舞いこそが、仏法において求められる肝要の実践であり、仏法者、そして人間としての勝利の人生の証となっていくのです。

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