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日蓮大聖人の身延入山後に、駿河国(現在の静岡県中央部)の富士方面では、日興上人が中心となって折伏・弘教が進められ、天台宗などの僧侶や信徒が、それまでの信仰を捨てて大聖人に帰依するようになりました。
そのために、天台宗寺院による迫害が始まり、大聖人に帰依した人々を脅迫する事件が次々に起こりました。
弘安2年(1279年)9月21日には、熱原の農民信徒20人が無実の罪を着せられて逮捕され、鎌倉に連行されました。農民信徒は平左衛門尉の私邸で拷問に等しい取り調べを受け、法華経の信心を捨てるよう脅されましたが、全員がそれに屈せず、信仰を貫き通しました。
そして、神四郎・弥五郎・弥六郎の3人の兄弟が処刑され、残りの17人は居住する地域から追放されました(10月15日、一説には翌年4月8日)。この弾圧を中心とする一連の法難を「熱原の法難」といいます。
農民信徒たちの不惜身命の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された聖人御難事で「出世の本懐」を遂げる時がきたことを宣言されました。「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的という意味です。
そして、弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです(一閻浮提総与とは全世界の人々に授与するとの意)。
熱原の法難における、民衆の強き信心に呼応して御図顕された弘安2年の大御本尊は、全民衆救済という日蓮大聖人の大願を込めて、広宣流布のために顕されたのです。
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