1. (8)声聞界・縁覚界

十界

(8)声聞界・縁覚界

声聞界と縁覚界の二つは、仏教のなかでも小乗教の修行で得られる境涯とされ、この声聞界と縁覚界をまとめて「二乗」と呼びます。
声聞界とは、仏の教えを聞いて部分的な覚りを獲得した境涯をいいます。
これに対して、縁覚界は、さまざまなものごとを縁として、独力で仏法の部分的な覚りを得た境涯です。独覚ともいいます。
二乗の部分的な覚りとは「無常」を覚ることです。無常とは万物が時間とともに変化・生滅することをいいます。自分と世界を客観視し、世間すなわち現実世界にあるものは、すべて縁によって生じ時とともに変化・消滅するという真理を自覚し、無常のものに執着する心を乗り越えていくのが、二乗の境涯です。
私たちも日々の生活の中で、自分自身を含めて万物が無常の存在であることを強く感ずることがあります。
ゆえに大聖人は「世間の無常は眼前に有り。あに、人界に二乗界無からんや」(241㌻)と言われ、人界に二乗界が具わっているとされたのです。
二乗の境涯を目指す人々は、無常のものに執着する煩悩こそ苦しみの原因であるとして、煩悩を滅しようとしました。しかし、そのために自分自身の心身のすべてを消滅させるという誤った道(灰身滅智といわれる)に入ってしまいます。
二乗が得た覚りは、仏の覚りから見れば、あくまでも部分的なものであり、完全なものではありません。しかし、二乗はその低い覚りに安住し、仏の真実の覚りを求めようとしません。師匠である仏の境涯の偉大さは認めていても、自分たちはそこまで到達できるとは考えず、自らの低い覚りにとどまってしまうのです。
また、二乗は自らの覚りのみにとらわれ、他人を救おうとしないエゴイズムに陥っています。このように、「自分中心」の心があるところに二乗の限界があります。

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