【震災証言】“心の財”は壊せない――東日本大震災から10年

2021.03.08
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“無事故ノート”と共に、避難所を回る日々

夫は車を乗り捨てがれきをかき分け、山道を抜けて翌日の昼に、ようやく自宅に戻りました。
再会するや同志の皆さんに会いにいこうと、すぐさま行動を開始しました。
通れる道路がなかったため、自宅裏の山道を抜けることにしました。
岩がごつごつし、木々が生い茂る獣(けもの)道で、足を滑らせながら歩き沿岸に住む同志を探し回りました。

なんと偶然に、がれきの中で再会できた支部婦人部長さんは、アパートの2階まで流れ込んだ濁流の中、自らは空調設備につかまり、乳児を抱えて流されかける男性を背中で壁に押し付け、片手でもう一人の隣人の襟元をつかみ、「腕が引きちぎれても離すものか」と必死で生き延びた壮絶な体験をされていました。
もう泣きながら、抱き合うしかありませんでした。その後は毎日、獣(けもの)道を抜けて、1日に5時間も6時間も歩いて避難所を回りました。

その際、“無事故ノート”を持ち歩きました。ノートには沿岸の同志の名前を書き出し、生存が確認できたら、名前の横に赤丸を付けました。一人 また一人と会っていき、初日は21人 2日目は37人。安否確認を進める中、同志の訃報に接することも少なくありませんでした。
時には遺体安置所までご遺族と一緒に、ご遺体の確認に行くこともありました。
“みんな無事でいてほしい”と真剣に祈りながら、“とにかく早く会いにいこう”と必死でした。

自宅の電気は1カ月以上も止まり、水もガスも通りません。沢からくんできたわずかな水を、支援物資のガスコンロで沸かし、タオルを絞って孫の顔を拭いてやりました。当たり前のことなんて一つもありませんでした。
そんな中、生きて再会できた友とは強く抱き合い、互いの無事を泣いて喜びました。

命を削るようにして生きる日々、心に希望をともした二つのこと

震災で多くの尊い命が、犠牲になりました。
1週間前に一緒に活動に歩いた同志も亡くなりました。夫婦で慕っていた大先輩でした。
友の訃報に触れるたびに、胸が張り裂けそうでした。何度も何度も泣きました。肉親を亡くした方もいました。家族が行方不明のまま、見つからない人も。そんな時、何と声を掛けてよいのか、分かりませんでした。

ただただ話に耳を傾け、一緒に泣きました。
自分たちは家族も家も無事だった。申し訳ないという葛藤もありました。そばにいて、一緒に泣き、肩を寄せ合っていることが精いっぱいでした。

毎日 命を削るようにして生きる日々の中、心に希望をともしてくれたことが二つあります。
一つは、池田先生からの励ましです。3月16日の聖教新聞1面に掲載されたメッセージに、
“心の財だけは絶対に壊されません”
との力強い激励の言葉がありました。この言葉に何度励まされたことか。
“先生の思いを伝えなくては”と思うと、体の疲れも忘れて、同志の元へと突き動かされるように走ることができました。

希望をもらったことの二つ目は、全国・全世界の同志からの支援、励ましです。

中でも、現地に入り込んで支援をしてくれた北海道をはじめ、学会青年部の姿には本当に勇気をもらいました。「皆さんのために何でもしますから」と言って、流された家の残骸をかき分けて、遺品を探してくれたり、泥まみれになって働いてくれました。

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