【震災証言】“心の財”は壊せない――東日本大震災から10年

2021.03.08
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「慣れない土地でも、座談会に出るとほっとする」

震災から10年、岩手県では、かさ上げ工事や防潮堤の建設が進み、各地で住居や店舗などが建ち、新たな街ができてきています。
確かに復興は日に日に進んではいます。しかし、心の復興はそう簡単ではありません。

この10年、本当にいろいろなことがありました。
避難所から仮設住宅へ、仮設住宅から復興住宅へ、生活の変化もさまざまありました。
その中で生老病死の悩みも、当然起こります。極度の緊張感が続き、体調を崩したり、気持ちが折れてしまう人もいました。
そんな苦闘の日々を送ってくる中で「学会員でよかった」「信心していてよかった」との確信は、大きくなっていきました。

震災から数年がたったある日、新たに復興住宅が完成した地区で、他地域から引っ越ししてきた同志の歓迎会を行いました。
その地区内には、まだ仮設住宅での避難生活を強いられている方も多くいました。
自分も仮設住宅を出たいはずなのに、地区の同志は皆、復興住宅に入ることができた友のことを、まるで自分のことのように喜んでいました。
“学会は やっぱり温かいな”と思いました。
どこに行っても、温かく声を掛け合いながら、新しい出発を切ることができます。

皆が口をそろえて、「慣れない土地でも座談会に出るとほっとする。学会はどこに行っても良い人ばっかりだ」と言っていました。
避難生活を強いられ、新しい場所に移る先々で、励ましの絆が生まれ、蘇生のドラマが紡がれていきました。

心の復興のためには、寄り添い続けていくしかない

震災からの10年を話す上で、ある婦人部の方のお話をさせていただきたいと思います。
その方は 震災の津波で、娘さんと2人のお孫さんを亡くされました。

憔悴(しょうすい)しきった彼女を励ましたいと、家に招いて一緒にご飯を食べたり、何度も家を訪ねたりしました。
彼女の部屋では、いつもテレビが仏壇の方を向いていて、ずっと付けっぱなしになっていました。聞けば孫の好きだった番組を、見せているとのこと。
さらには朝昼晩の三食、娘と孫の三人分のお膳をこしらえて、仏前にお供えしていました。
月日が流れても、彼女の中で無念さが晴れることはありませんでした。

街のスーパーで子どもを見かけると、つらい気持ちで目をそらし、自宅で一人過ごしていると、「自分が代わりに犠牲になればよかった」と何度も自分を責め立てていました。
それでも、娘たちに回向の題目をあげ続ける中で、少しずつ、本当に少しずつ、前を向けるようになってきました。

震災から8年がたった頃、会合にも参加できるようになり、2人の友人が聖教新聞を購読し、感想を寄せてくれました。
「元気が出たよ 良い新聞だね」
その言葉を聞いた時、彼女の胸を覆っていた雲がようやく晴れたような気がしたそうです。
“自分も誰かに必要とされている”と思った時、彼女に笑顔が戻りました。
「私が強く生き抜くことで娘たちが生きた証しを示したい」と語り、今では生き生きと対話拡大に励むまでになりました。
ここまでくるのに、実に8年を越す月日が必要でした。

復興の過程はそれぞれであり、心を覆っている雲は見えづらいものです。一見明るく振る舞っていても、一人になると、落ち込んでしまったりすることもあります。
心の復興のためには、とにかく寄り添い続けていくしかない。そう決めて今も家庭訪問を続ける日々です。

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