【震災証言】“心の財”は壊せない――東日本大震災から10年

2021.03.08
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“誓い”を胸に、この10年走り続けてきた

こうして私たちが、この10年を走り続けてこられたのは、池田先生との誓いがあったからです。それは 聖教新聞に当時連載していた小説『新・人間革命』「清新」の章で、岩手の水沢指導についてつづっていただいたのです。さらにそこでは、東日本大震災で奮闘する三陸の同志の様子をつづっていただきました。

この「清新」の章に描かれる水沢指導には、私も夫も参加し、池田先生と不滅の出会いの原点を築かせていただきました。

ここからは夫にバトンタッチします。

(以下証言:裕一さん)
私が池田先生と初めて出会いを刻んだのは、小説に描かれている昭和54年1月の水沢指導でした。
当時はまだ活動家になったばかりで、男子部の大ブロック長、今でいうと地区リーダーでした。

妻とは結婚が決まっており、その年の9月に入籍しました。しかし、その頃の私は、宿命の鉄鎖を断ち切れず、翻弄(ほんろう)される人生でした。幼くして父を亡くし、勤めていた建築会社では経営が傾き、望まない転勤を強いられる状況に。

さらに結婚後すぐに、母が他界しました。しかし、池田先生に三陸広布を誓った私は、信心で立ち上がりました。その頃から聖教新聞の配達を始め、学会活動にも真剣に取り組みました。

その後 勤めていた会社が倒産し、病魔にも襲われるなど、試練は続きましたが、一つ一つ信心で乗り越えて大手の企業にも就職を勝ち取ることができました。
今では4人の子どもたちが、しっかりと信心を継承し、笑顔の絶えない家庭を築くことができました。

最後の一人が立ち上がるまで、寄り添い、励まし続ける

新聞配達は、現在まで40年以上継続しています。さらに地域の役に立とうと、消防団に所属し、27年間続けてきました。震災当時も、消防団員として動きました。

がれきにふさがれた道路を迂回(うかい)し、救援物資を担いで山道を何往復もしました。
重労働で体にはこたえましたが、困窮する地域の方々のために、2カ月ほど、連日走り続けました。
こうして全てを勝ち越え、人のため、広布のために尽くせる境涯を開くことができました。

震災と戦ってくる中で、師弟の絆をより強くすることができたと思っています。
未曽有の災害の中で、私たち三陸の同志が心に持っていたもの。激しい揺れでも大津波でも壊すことができなかった私たちの“心の財”――。
それは他でもなく池田先生との「師弟の絆」でした。

「清新」の章では東日本大震災のことをつづってくださいました。
私たち夫婦は、この「清新」の章を何度も読み返しては、水沢指導の原点を思い出し、また震災の当時のことを思い出しながら、
“一人でも多くの友に会っていこう”
“最後の一人が立ち上がるまで、信心してよかったと思えるまで寄り添い、励ましを広げていこう”
と決意を新たにしています。

これからも「清新」の章という、東北と池田先生の師弟の原点を胸に刻み、自分たちにできることを精いっぱいやっていく決意です。

本日は大変にありがとうございました。

この記事の取り組みは、以下の目標に寄与することを目指しています

●目標4. 質の高い教育をみんなに
すべての人に包摂的かつ公正な質の高い教育を確保し生涯学習の機会を促進する

●ターゲット4.7
2030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。



●目標11. 住み続けられるまちづくりを
都市と人間の居住地を包摂的、安全、強靭かつ持続可能にする

●ターゲット11.5
2030年までに、貧困層及び脆弱な立場にある人々の保護に焦点をあてながら、水関連災害などの災害による死者や被災者数を大幅に削減し、世界の国内総生産比で直接的経済損失を大幅に減らす。