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科学・芸術名誉十字章勲一等(オーストリア)

美と芸術の都 オーストリア

写真 ウィーン市内にあるヨハン・シュトラウス二世像
オーストリア・ウィーン市内にあるヨハン・シュトラウス二世の像

写真 最古で最大の芸術家協会の拠点キュンストラーハウスの外観
オーストリア最古で最大の芸術家協会の拠点キュンストラーハウス

オーストリアは、さまざまな美に出会う国である。
かつてはハプスブルク家の帝国の都として栄えた首都ウィーン。建築・絵画など、栄華を誇った宮廷文化の遺産が街を彩る。また「音楽の都」と呼ばれるほど、歴史に名だたる大作曲家を数多く輩出してきた。
また、アルプス・チロルの絶景、湖水地方の幻想的な美しさなど、その雄大な自然もオーストリアの魅力である。

東西のヨーロッパ、そしてヨーロッパとアジアを結ぶ要所であったウィーンは、古くから多彩な民族・文化を包含する国際都市であった。1955年の独立回復以降、国連ウィーン事務局をはじめ数多くの国際機関の本部が設置され、国際的な平和協力を象徴する都市でもある。

近代国家として歩みはじめた日本と、いちはやく交流を開始したのもオーストリアであった。明治新政府が成立(1868年)した翌年に来日したオーストリアの使節団は、学術書や医学機器を日本に贈呈。同年、修好通商航海条約が両国の間で締結された。さらにオーストリアは、1873年にウィーンで開催された万国博覧会に日本を招待。開国間もない日本が、西欧社会に広く認知されるきっかけとなった。

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「創価学会は、大きな希望」

写真 池田大作名誉会長とクーデンホーフ=カレルギー伯
クーデンホーフ=カレルギー伯と会見 (1970年 東京)

写真 池田大作名誉会長とフランツ・フラニツキ首相
オーストリアのフランツ・フラニツキ首相(当時)と会見(1989年 東京)

1967年、オーストリアの国際的な指導者が池田大作先生(当時会長)との会談を強く希望した。ヨーロッパ統合構想の実現に尽力し、“EUの父”と呼ばれるリヒァルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵である。ナチスの弾圧にも屈せずヨーロッパ統合の旗を振り続けた氏は、創価学会が進める「仏教を基調にした平和・文化・教育運動」の可能性に注目していたのである。

カレルギー氏と池田会長は、72年に対談集『文明・西と東』を刊行。同年に逝去したカレルギー氏は、創価学会の存在に大きな期待を寄せ、希望を託した。「創価学会は、物質主義に対する宗教の、そして戦争に対する平和の、勝利をもたらす大きな希望である」

以来、池田先生はオーストリアの識者たちと友情を広げてきた。89年には、来日したフラニツキ首相(当時)と会見。「両国民の『心』と『心』をさらに近く」させる交流の重要性で一致した。

 

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「平和」「文化」「教育」の大道

写真 ウィーン国立歌劇場初の日本公演のワンシーン
オペラの最高峰ウィーン国立歌劇場が初の日本公演(1980年 東京)

写真 国連ウィーン国際センターでの「核の脅威展」
国連ウィーン国際センターで核の脅威展(1983年9月)

池田大作先生は1961年の初訪問以来、オーストリアを3度訪問。両国の「平和の道」「文化の道」「教育の道」を大きく開いてきた。

池田先生が創立した民主音楽協会(民音)は、73年にウィーン・モーツァルト少年合唱団を日本に招へい。80年には“オペラの至宝”ウィーン国立歌劇場の日本公演を実現した。

同じく池田先生を創立者とする東京富士美術館は、「日本美術の名宝」展(92年)、「日本の蒔絵と中国の陶磁器」展(97年)をウィーンで開催。また日本では、「クリムトとウィーン印象派」展(96年)、「オーストリア王宮の銀器博物館の至宝」展(97年)が行なわれている。

83年9月にはSGI(創価学会インタナショナル)が国連と共催で「核兵器——現代社会の脅威」展を開催し、反響を呼んだ。

89年に池田先生と会談したフラニツキ首相は、創価学会への期待と感謝を語った。「文化交流、青年交流が大事です。そのための創価学会の運動を、私は、よく存じ上げています。皆様の運動が必ず成功しますように!私は心から願っています!」

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反響広げた「自然との対話」展

写真 ハンス・マイヤー会長と池田大作名誉会長
オーストリア芸術家協会のハンス・マイヤー会長と会談(1992年 東京)

写真 サイフェルト氏と池田大作先生
サイフェルト氏(当時、文部次官)と会談(1992年 北海道)

オーストリア最大で、最も古い歴史をもつ芸術家協会の拠点、キュンストラーハウスで「自然との対話——池田大作写真展」が開催された(1992年2月)。同写真展には、3万6千人の市民が訪れ、すべての主要なメディアで紹介されるなど大きな反響を呼んだ。

オーストリア芸術家協会は「写真分野での芸術的貢献」に対し、91年に池田大作名誉会長を日本人初の「在外会員」に選出している。「在外会員」は同協会を構成する4つの会員資格の最高位であり、これまで世界的な芸術家が選出されてきた。

同芸術家協会会長で写真家のハンス・マイヤー氏と池田先生は「写真は万人に開かれた大衆芸術である」との共通の信念を語り合った(92年)。
「芸術こそ、世界を新たな関係で結ぶ力なのです」(マイヤー)
「『文化の力』は小さいようで、長い目で見れば、確実に時代と社会の底流を動かしているものです」(池田)

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芸術と哲学が開いた友好

写真 ショルテン文部大臣と池田大作名誉会長
ショルテン文部大臣(当時)と会見(1992年 ウィーン)

写真 授章式でサイフェルト氏が挨拶
授章式でサイフェルト文部次官(当時)が挨拶(1992年 オーストリア文部省)

池田大作先生に対するオーストリア共和国の「科学・芸術名誉十字章勲一等」の授章式は、1992年6月10日、首都ウィーンの文部省で行われた。

壮麗なバロック建築や美しい森に彩られ、街そのものが芸術品のようなウィーンの中心部に文部省は位置する。 文部省中央の門の上には、国旗と同じ鷲の紋章が掲げられている。その足に添えられた“切れた鎖”は、「何ものにも束縛されない」自由の象徴である。

授与式に先立ち、ショルテン文部大臣(当時)が池田名誉会長を歓迎し、懇談のひとときを。「“オーストリアの友人”である池田SGI会長の来訪を心より歓迎いたします。将来にわたって、会長のご行動を支持いたします。これからも深い理念のもと、さまざまな協力関係を結んでいきたい」
さらに、「SGI会長による芸術と哲学の道が、単なる科学技術の道よりも更に、オーストリアと日本の友好を開いてくださっていることに感謝したい」と述べ、池田先生とSGIの貢献をたたえた。

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科学・芸術名誉十字章勲一等 授章式

写真 科学・芸術名誉十字章勲一等を佩用する池田大作名誉会長
科学・芸術名誉十字章勲一等を佩用

写真 科学・芸術名誉十字章勲一等
科学・芸術名誉十字章勲一等

「科学・芸術名誉十字章勲一等」は、オーストリア共和国の最高位の文化勲章であり、共和国大統領の名で授与されるものである。平和・文化・教育の分野での多彩な創造活動と、文化交流による日本・オーストリア両国の友好への貢献をたたえ池田大作先生への授与が決定された。

文部省の「青の間」で行なわれた授章式では、サイフェルト文部次官(当時)、日本の小野寺龍二駐オーストリア大使(当時)が見守るなか、ショルテン文部大臣から池田先生に勲章・勲記が手渡された。

続けて隣室の「賓客の間」で、授章を記念する祝典が執り行われた。祝典の開始は、文部省所属のホルン五重奏楽団が奏でる楽曲で告げられた。

サイフェルト次官は、池田先生の行動の軌跡を紹介しつつ「『現代世界の最高の哲学者の一人』であり『“生命の真の価値”を表現する』名誉会長の受章を誇りに思う」とあいさつ。小野寺大使も祝辞を述べた。

“音楽の都”の祝典にふさわしく、再び五重奏が奏でられたあと、池田先生が謝辞を。そして三たび、音楽が奏でられるなか、授章式は幕を閉じた。

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